☆☆☆ 少女アリス 04


第3話 ピエロとサーカス団 (2)
 
☆★ サーカスのテントの中

 わああああああぁぁっ!!
 アリスは音が戻ってきたのを、耳ばかりでなく、肌でも感じた。
 場は絶頂を迎えようとしていた。
 いつの間に。
 影の紳士と話している間は、そんな気配など微塵もなかったのに・・・。
 アリスは影だけ残して消えた紳士のことを思った。
 そして、舞台ではひとりの少年ピエロが登場した。
 何かをでたらめに書いたような、読みづらい装飾文字の書いてある大きな看板を両手で掲げて、舞台上を練り歩く。
 その姿は、道化然としていて、面白おかしく、可愛らしいものだった。
 練り歩くピエロは、何かに躓いて転んだ。
 その瞬間、看板は手からすっぽ抜けて客席に。
 がしゃん!! と、音がしたかと思えば、一瞬のどよめき。
 それでもピエロは、わざとらしく焦った様子で、道化らしく客席に飛び込んで、再度、どよめきを買った。
 不恰好に舞台によじ登ったピエロの手には、看板の他に客席から招待したらしい一人の幼い少年の姿があった。
 少年はピエロに手を引かれ、戸惑いながらも興味が勝った様子で、大人しく案内された舞台中央の椅子に座った。
 ぱっと一瞬暗くなったかと思えば、少年とピエロの場所だけに眩しいスポットライトが当てられて、膨らんでいく興奮をアリスは少しだけ感じ始めた。
「本日は、お越しくださって、誠にありがとうございます!! 本日は皆さま、知ってのとおり、特別な日です!!
 今日は、今日だけの特別公演となっております!! それでは、本日、まず初めは、この少年の夢!!
 皆さま。どうぞ、楽しんで行って下さいませ!! それでは、ごゆっくり・・・!!」
 すっと後ろに下がるのに合わせて、ライトからピエロの姿が消えるとライトも消えた。
 舞台にはひとりの少年。
 道化でもなく、猛獣使いでもない、ただの少年ひとりだけ。
 これから一体、何が始まるというのか・・・?
 アリスは、しんとした空気の中、熱いほど熱を持った両手を我知らず握り締めていた。
 ドコドコドコドコ・・・!!
 小さな太鼓の音が、次第に激しさを増していく・・・!!
 音が大きくなると同時に、うっすらと少年を照らしていたライトが、その光が濃くなっていく。
 眩し過ぎて、少年を見失った。
 否、少年の姿など、どこにもなかった。少年は、光に呑み込まれてしまったのだ。
 高鳴る胸を、押さえ込むので精一杯で、アリスは後ろから近づいて来た人物に気づかなかった。
「やあ、どうも。また会いましたね」
「・・・ええ」
「何かに気を取られておいでのようだ。楽しいですか?」
「・・・ええ、とっても」
「それは、よかった。用意したこちらとしても、嬉しい限りですよ」
「・・・そうですか」
「これはこれは・・・。本当に気を取られておいでのようですね。
 あなたはそんなに楽しい世界を知らずに育った方だったかな? 無縁ではないと・・・私は思うのですが」
「・・・そんなこと」
「どうしたんです? 教えて下さいよ」
「・・・後でなら」
 アリスは少しずつ苛立ち始めていた。この人物と話していると、舞台が進まない!!
「お楽しみのところ、大変申し訳なく思いますが・・・少しだけ。お時間は取りませんから、ね?」
「・・・わかりましたっ!」
 このまま断ったとしても、この人物は決して退きはしないだろう。
 なんの根拠もない、ただの勘でしかなかったが、何故か、アリスには、その通りだということが分かった。
「それで・・・何を聞きたいんです!?」
 勢いをつけて見た顔に、思わず呆然とするアリス。
「あ、あなたは・・・」
「何です? どうしました? 私の顔が何か?」
 対する紳士は、面白そうにアリスの驚いた顔を堪能していた。分かりきった質問なんかして。
「だって・・・どうして・・・? さっき帰ったはずでは・・・」
「さっきは帰りましたが、もう一度、あなたの顔が見たくなりましてね・・・戻ってきてしまった」
「そんなこと・・・」
 アリスは信じられないことの連続に、頭が真っ白になったような気分になった。
 問い詰めようとした時には、答える振りして、さっさと姿を消した人物が、今頃になって、飄々と隣に座って自分に話し掛けている・・・。
 とんだ茶番だ。あまりのことに呆れてしまう。
 まるでジョーカーのような身勝手さ。
 ピエロのような馬鹿らしさ。
 そして、キングのような大胆さ・・・。
 アリスは彼こそ真のジョーカーに違いない、と頭痛を訴え出した頭の中、そう思った。
「どうしました? アリスさん? 私が誰だか、お忘れになったわけではありませんよね・・・?」
 そして微笑みながら、惚けた事を言う。
「ええ、もちろん・・・!! 忘れるわけなど、ありませんよ。だって、あなたは・・・!!」
 舞台が眩しく光を放った。
「あぁっ!?」
 アリスは声を失った。息をするのを忘れた。
 光に全てさらされた彼の顔は、どこかで見たことのある顔だった。
 優しげな瞳も、声を荒げることなどない、穏やかな口元も。
 気の弱そうに見える、いつも困ったような表情も。みんな、ぜんぶ・・・。
「おや、舞台が始まってしまった。どうやら、私はあなたとあまり長居できないよう設定されているようですね。
 残念だ。あなたともっとお喋りしたかったのに・・・」
 くす、と余裕で笑う。口を虚しくパクパクさせるアリスのなんと間抜けなことか!!
「あ、あ、ま、待って! 待って、あなたは・・・あなたは、○×△っ!? ○×△なんでしょうっ!?」
「しぃーっ。ほら見て、アリスさん。舞台の時間が動き出しましたよ? あれを見なくては。
でなければ、あなたはきっと後悔する・・・。私にはわかっています、あなたの言いたいことも、聞きたいことも、その答えも全てがね。だから、大丈夫ですよ。それに、どうせ、またすぐに会えます」
「で、でも・・・っ!!」
「大丈夫。また・・・すぐに会いにきますから・・・ね?」
 紳士は、かつて見たことがないほど、優しく噛んで含めるように言った。
「あっ・・・○×△っ!?」
「しぃー、ですってば、アリスさん。
 それにあんまりその言葉を口にしないで下さい。この世界の禁止ワードのひとつですよ?
 これ以上口にすると、連れて行かれちゃいますよ? 気をつけて」
 紳士は顔をさらした瞬間から、アリスの身近で息をする人物へと成り変わった。態度も親しく、笑いかけてくる。
「で、では、なんて呼べばいいの・・・ですか?」
「そうですねぇ。アリスさんに早く私の存在に気付いて欲しくて、余計なことは何も考えてませんでしたから・・・。
 
ううん、やはり、このまま『紳士』、と呼んでいただきましょうか。よろしいですか?」
「はい・・・わかりました」
「・・・あまり納得してないようですね」
 笑いを含んだ声音は、いつ聞いても心地好い。
「だって。あなたがここにいるなんて、思ってもみなかったですから。いつから居たんですか? 初めから?」
 口を尖らせたように不満を口にするアリスからは、微かな甘えが感じ取れた。
「そうですねぇ。言ってしまえば最初から、ですが。正式に参入したのは、ごく最近のことですよ、本当です」
 アリスが疑う気配を察したのか、紳士はわざとらしく先に「本当です」と言った。
 あまり年も変わらないはずなのに、大人と子どもくらい差のある対応の仕方にアリスはいつも不満を覚えた。
 不安を覚えていた。
「ああ、ほら。ここの『神』は性質が悪いですねぇ。これ以上、あなたと話せないように、私は消えてしまうようです」
 紳士は穏やかに笑いながら、透ける自分の身体を興味深そうに眺めた。
「紳士! そんな、どうすれば・・・!?」
 焦ったアリスに、紳士は穏やかに、ごく穏やかに話しかけた。
「大丈夫。一時的なものです。本当にこのまま消えてしまうわけではありませんから、安心して」
「は、はい・・・」
「そんな顔しないで。すぐにまた会えますよ。・・・今度はあなたが会いに来てくれそうですし、ね」
「そっ・・・それは・・・・・・」
「楽しみにしてますから。では、また」
「あっ! ○×△っ!!」
 紳士はアリスに「だからその言葉は禁句なんですよ?」と困ったように笑って、霧のように掻き消えていった。
 紳士のいた名残は何ひとつなく、隣の空き席も、どうしてだか、当然のように冷たかった。
 アリスは今頃になって、走り出した動悸に、どうすればいいのかわからなくなり、下を向いて胸を押さえた。
 はあ、はあ、はあ・・・。
 もう二度と会うはずないと思っていたあの顔。
 信じ難いが、本人そのままだった。
 性格も、外見も、何もかもがあの当時のままで、アリスはずっと胸につかえていたわだかまりが、変わった自分の目線だと気付いて、少しだけ自分を取り戻した。
 そうだ。所詮、彼は過去の亡霊にすぎない。
 いくら、この世界で彼が彼のまま登場しても、それは全て夢幻・・・。
 ただ少しだけ懐かしいだけ。
 少しだけ甘酸っぱいだけ。
 ・・・少しだけ、醒めない自分を思い出して、幼く戻ってしまうだけ・・・。
 アリスは唇を固く噛み締めると、むずむずする過去の記憶を押し込めた。今はこんなものないほうが都合良い。
 アリスは思いつく限りの正しい言葉と、物語の規則を思い出し、自分の中を冷却した。
 もう、これで大丈夫。またいつ彼が現れても。
 心を武装したアリスは、いつもの冷たさを内包する無感動な少女に戻る。
 そして目を向けた舞台では、今まさに光が弾けようとしていた・・・。



* * *
←前  次→